天国はまだ遠く

〜緩く過ごす。すべてを赦す。ステキな掌編映画〜

なによりもタイトルの語感が美しい。
印象に残る映画というのは、邦画であれ洋画であれタイトルがイイものが多い。解りやすくシンプルで力強い。
そういう点で、この「天国はまだ遠く」は、印象に残る、イイ映画の資質を備えていると思う。というわけで、観る前からとても期待して試写室にでかけてきたわけですが、結論からいってしまえば期待通り、むしろ期待以上の映画だったです「天国はまだ遠く」。

夜遅くの片田舎の駅に着いた自殺志望若い女の子・千鶴(加藤ローサ)は、駅前のタクシーに乗り、寂れた旅館に案内してもらう。そこは田村(徳井義実)という若者がひっそりと自給自足で宿を経営する「民宿たむら」であった。千鶴はその晩、睡眠薬を飲んで自殺を図るが、結局単に長時間眠り込んでしまっただけの未遂に終わる。そして目覚めた千鶴は、所在なく、他に客もいない「たむら」に泊まり続け、田村とのノンビリした毎日を過ごしてゆくことになる。
美しい山あいの景色や、村の人たちの素朴な交流など、ノンビリと過ごす毎日の中で千鶴の心は確実に変わってゆく。そして少しづつ見えてくる田村のナゾの過去と共に、訪ねてきた千鶴の恋人との不思議な別れ。田村と千鶴の心が少しづつ解きほぐれてゆき、そして二人は…。

と、あらすじを書くと、なんかちょっとお洒落なラブサスペンスっぽい感じもしますが、正直オシャレじゃないし、ラブもないし(無いのかよ!)、サスペンスもほとんどありません。TVもラジオもない「民宿たむら」に飽きてきた千鶴が「音楽聴きたい」って、探しだしたら吉幾三のCDばっかりとか。なんか映画は、そんな「何もない日常」を、本当に淡々と描いてゆくだけ。でも、淡々と描いてるだけなのに飽きることがないのが正直スゴイ。何もない面白さ、とでも言えばいいのか。全く不思議な感覚をこの映画は味あわせてくれる。

では、他にもいくつか何もないスゴさ(笑)を。
●超メジャーな観光地「天橋立」を要する観光地、京都府宮津市が舞台なのに、モッタイナイほど天橋立ほとんど出てきません。
●したがって観光地の景色よりも、民宿の近くの山とか川ばっかり。
●ほとんどが民宿とその近辺のロケで、時々街や駅が出てくるだけです。
●くどいようですが淡々と描く毎日には起伏もなく、ほとんど何もおきません。

朴訥で無口な田村を演じるのは、お笑いコンビ・チュートリアルの徳井義実。徳井はこの作品が映画主演初めてと言うことらしいが、とても自然に「田村」を演じている。まあ、朴訥で無口、というキャラクター設定が大正解という気もするが、アクターとしての素質をとても感じさせる。とてもいい芝居をするひとだ。ちなみに劇中相方の福田充徳もチョイ役で出演しているのが御愛嬌。

さて、対する千鶴演じる加藤ローサは、朴訥な田村とは正反対のムカつくほどの都会の女の子を表現してこれまたナイス。山あいの田舎に唐突に飛び込んできた異物感が素晴らしい。そんな千鶴も「たむら」で過ごす毎日を経て、いつしか田村だけでなく、村の人たちとなんとなく打ち解けて、尋ねてきた恋人とも穏やかに接することができるようになる。

映画のポイントは、劇中徐々に見えてくる田村の過去だ。隠すように置いてある若い女性との写真。なぜか大切に「使って」いる壊れた腕時計。毎朝神社のお社を掃除し、仏壇に手を合わせ、日曜には教会に礼拝に行く。そして他の村人との奇妙な断絶感、など。「何かがあった」という気配は感じるのだが、「何があった」のかはハッキリしない。

それは最後まで、劇中の千鶴だけでなく我々観客も、その真相のすべては明らかにならないまま、ただなんとなくエンディングを迎えてしまう。結局田村も、千鶴もいろいろあったけど、みんな赦して、緩く生きよう、ということなんだろうか。よく言えば達観、悪く言えば諦めというべきか、正直どちらかは解らない。

ただ、映画を見終われば、確実にココロは緩く、たとえ帰り道に誰かぶつかってきても、駅で並んでいてドコかのおばさんに割り込まれても「まあ、いいか」って赦しちゃう気分になっていることは間違いがない。

シンプルで解りやすく、老若男女誰もが何かを持ち帰るコトができる、手元に残しておきたいちっちゃな映画、という感じの作品だ。文学でいえば「掌編」という感じかな。イイですコレ。やっぱタイトルがイイ映画って、中身もイイもんだなあと、しみじみ。

天国はまだ遠く(DVD)
天国はまだ遠く(文庫)
原作:瀬尾まいこ「天国はまだ遠く」
監督:長澤雅彦
脚本:長澤雅彦/三澤慶子
出演:加藤ローサ /徳井義実(チュートリアル) /河原さぶ
配給:東京テアトル
ジャンル:邦画

© 2008『天国はまだ遠く』製作委員会