ケンタとジュンとカヨちゃんの国

閉じ込められたその檻を壊し、飛び出した先に何があるのか。劇中で語られる「世の中には二種類の人がいる。ひとつは人生を自分で選べる人、もうひとつは選べない人」の台詞。本作は圧倒的な後者を描いた作品だ。窮鼠が猫を噛んだのちに訪れる暗澹たる深淵が、これでもかこれでもかと、イヤというほどスクリーンから滲み出す。

低賃金と劣悪な環境で、工事現場の壁を壊す仕事を黙々とこなすケンタとジュン。二人は同じ施設で兄弟のように育った幼なじみだ。ある日、ジュンは体だけを目的にカヨちゃんを街でナンパし、それ以来カヨちゃん宅に通い詰める。そんな折、職場の先輩から理不尽で執拗な虐めを毎日のように受けていたケンタは、胸にあたためていたある計画を実行する…。

本作にはいくつもの檻が登場する。ケンタが生い立ちによって閉じ込められている檻、ジュンが孤独を恐れている檻、カヨちゃんの容姿コンプレックスによる檻、ケンタの兄が収容されている刑務所の檻、飼育されている闘犬の檻、そして障害者施設で暮らす知的障害者たちの檻。ケンタもカヨちゃんも、その檻を壊して「アタラシイセカイ」へ抜けようとする。だが、実際に抜け出した先に何か「シアワセ」が待っているわけではない。むしろその逆だ。倒されたひとつのドミノは隣のドミノを倒し、延々とドミノを倒し続ける。それを止めるためには、まだ倒れていないドミノの列を崩すしかない。自らの人生を破壊することでしかその負のスパイラルを阻止する術がないのだ。ケンタがその檻を破壊して世に飛び出したつもりが、檻はただ広さを増しただけであり、彼は依然檻の中。そしてその檻は以前よりもさらにその牙をむき、毒を強めていく。常時檻から出ていたいカヨちゃんはその度に自分の価値を地よりも低く落としていく。

一方、檻から出ようとしない闘犬と知的障害者、そしてケンタの兄には、悲しさを伴った安らぎが満ちる。そこにいれば保障される、一定の「シアワセ」。ケンタの兄が最後に語った言葉こそが真実であり、彼なりの弟への愛情表現なのだろう。また、ジュンが一瞬だけ垣間見た「人生を自分で選べる」ほうの住人はジュンとは違う食べ物を口にし、違う空気を吸う。息苦しさから戻った先こそがジュンの檻であり、「国」だ。そして檻にとどまっていたいジュンが最後に引き起こした決定的な出来事。表面的にはこれは凶だが、彼らの内面にとっては吉となる。そこにこの映画の凄さがある。

ケンタたちが檻を壊さず、その中で鬱々として一生を過ごせば、それで「シアワセ」だったのか? ケンタたちが行き着いた先は、本当に「シアワセ」ではなかったのだろうか?
誰しもが皆、なんらかの檻の中で生きている。その檻とどう対峙し、どう生きていくのか。「悲しみ」などという言葉だけでは表現できないずっしりとしたコールタールのような感情がこの胸に残る。毒のように心に染み入る、傑作。

ケンタとジュンとカヨちゃんの国(DVD)
監督:大森立嗣
脚本:大森立嗣
出演:松田翔太 /高良健吾 /安藤サクラ/小林薫/柄本明
配給:リトルモア
ジャンル:邦画
公式サイト:http://www.kjk-movie.jp/

© 2010「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」製作委員会