実は私自身、何年か前に阿佐ヶ谷に住んでいたころがある。ねじめ正一氏の実家が営む民芸店があり、宮崎アニメなどで豪快に食される骨付きの巨大肉を再現(?)した「あの肉」を売る店があり、「ラピュタ」や「ザムザ」や「山猫軒」などの、ツウが喜びそうなネーミングの店があり……さながら大人にとってのオモチャ箱のような町だ。
そして本作は、漫画家・安部慎一の阿佐ヶ谷での私生活を描いた同名タイトルの実写化作品である。
1970年代初頭。阿佐ヶ谷で恋人の美代子と同棲する安部は、彼女をモデルとした私生活漫画を描き始める。だが、男の性(さが)からか彼女の親友・真知子とも関係を持ってしまった安部は、罪滅ぼしをするかのように、自分の友人・川本と美代子に関係を強いる。そのことがさらに彼を追い詰め、徐々に創作にも行き詰まっていった安部だったが……。
阿佐ヶ谷がオモチャ箱なら、本作はさながら絵本だ。色彩はリアルを超えて鮮やかに輝き、安部の心象風景は現実を逸脱した幻想に遊ぶ。まともな人間は創作には向かないというのは一種の定説でもあるが、それを裏付けるかのように安部もその仲間たちもそして美代子も、いわゆる“フツー”の枠には納まらない生き方で人生を生きていく。創作とは別の宇宙を創ることに他ならず、実際に自分が息をしているこの空間とは多かれ少なかれ乖離していくものだ。その乖離に耐えられる者は日常生活を(一見)まともに送り、耐えられない者は世間とのその差をあからさまにし、隠すことがない。それがなおいっそう、自分と世間との間を大きなものにしていく。
安部は紛れもなく後者だったのだろう。そして美代子は、たとえ自分が安部に裏切られても何事もなかったかのように安部に尽くす。安部にとっては女神のような存在だろう。否、すべての芸術家にとって、彼女のような存在は理想なのではないか。安部らが劇中で叫ぶ「シュールレアレスム」の筆頭である、ダリにとってのガラのように。
「消えた漫画家」と不名誉な呼ばれ方もされる安部だが、彼の人生は、そんな美代子のおかげで「幸福」だったに違いない。たとえ静かな狂気の中に常時置かれていたのだとしても、たった一人、自分を想ってくれる人がいるのなら、人間はそれで幸福なのだ。
美代子阿佐ヶ谷気分(DVD)
美代子阿佐ヶ谷気分(単行本)
原作:安部慎一
監督:坪田義史
脚本:福田真作/坪田義史
出演:水橋研二 /町田マリー /本多章一/松浦裕也/あんじ
配給:ワイズ出版(製作も)
ジャンル:邦画
公式サイト:http://miyoko-asagaya.com/