「山岳小説」であり「冒険小説」「青春小説」であり、ちょびっと恋愛小説かな?
なんともチャーミングな作品。ひきつけられて一気に読んでしまう。
背景を「山岳」に求めたという生半可を越え、山々はあくまでも厳酷であり、それがゆえに清清しく美しい。一体、著者は実際に山男なのかどうか調べてもいないが、そうに違いないと思い込んでも不思議はない登攀の描写。山好きでなくともワクワク・ハラハラ・ドキドキの連続で少しも飽きない。時に胸を熱くし、痛め、そしてため息をつく。「一所懸命に生きる」というシンプルな形にピュアに反応できる。
山を生きた男。少年期からの半生。魅せられたとか、慈しんだとか、賭けたとか…。山はもはや「対象」ではなく男の実存は「山」に直結していた。
開戦から終戦、戦後間もなくの時代背景にあっても作品はいささかも鮮度を落とさず、なお鮮やかに「山」と「山男」を描き尽くす。
さて本作の「男」は当然「山男」。対抗はやはり「待つ女」。だがこの水槽の中の雌魚、見上げた水面から、開かれた空の高さと青さを想像する、ちょっとスゴイんである。
何も男と女でなくとも人間同士、こうじゃなくちゃと思うよ。「深い愛情と理解で結ばれて」なんぞという甘ったるい幻想から悲しくも卒業してしまった「大人」でも、わからないなりに受け容れて、大概は異人種であっても、「まあ、小指の先ほどつないどこうか」と思えるとすれば、ひとえに他人の「空」を想像するクリエイティビティにかかっているんじゃないでしょうか。
作者名:新田 次郎
ジャンル:山岳小説
出版:新潮文庫