ご託ではない五徳のはなし

先日、スイス帰りのアラカン編集長より十徳ナイフ(アーミーナイフ)をちょうだいした。
ハサミに缶切り、ワインオープナーなどが収納されており、数えたところ“十種の用途でオトク”には足らなかったが、“十分(充分)にオトク”なのは間違いなかった。どうもありがとうございます。
さて、その折り、「これは十徳ナイフだが、五徳はなんで“五徳”なのか」という疑問が示された。
五徳。
そう、あのガスコンロに置いてある、鍋やらフライパンを支える土台のようなアレは、どうして五徳と呼ばれているのだろうか。


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これ、いわゆる五徳
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これ、かつては竈子(くどこ)と呼ばれていた五徳

まず押さえておく必要があるのは、「五徳」という言葉の意味自体で、儒教における「仁・義・礼・知・信」の五つの徳を指す言葉である(または論語の「温・良・恭・倹・譲」、孫子の 「智・信・仁・勇・厳」などもある)。
で、コンロのアレはそれに関係あるのか、と言われると、「関係ある説」と「関係ない説」それぞれに有力な説があるのが現状だ。
「関係ある説」としては、その五徳を極めたお坊さんが被る冠(『西遊記』の三蔵法師を想像されよ)を「五徳」といい、それに形が似ているから……。これ、「単に似ているから」ってだけのようでいて、その向こうに五徳の意味がある。そういう説ですね。
そして「関係ない説」は、火鉢で土瓶などを乗っけているもの(いまでは五徳と呼ばれています)……これ、足が下で丸い部分が上。つまりガスコンロとは反対に使用されており、これを「竈子(くどこ)」と呼んでいたのだが、茶道の広まりと同時に、丸い部分を下にして、足の部分にお湯を沸かす茶炉を置くようになった。それで物と同時に名前も「くどこ」からひっくり返して「ごとく」。そこにありがたい「五徳」という字を当てた……。

なんかその、“徳の高いお坊さんが被っていた冠”のほうがありがたみは大きいが、どうもダジャレのような“ひっくり返して当て字”が有力らしい。 まったく、ゴタクのごとく五徳の話、そんな感じである。