年が明けてすぐの1月10日、世界的なアーティストで、俳優でもあったデイヴィッド・ボウイが亡くなりました。そのわずか2日前、69歳の誕生日だった1月8日に3年ぶりのニューアルバム を発表しており、これからの活動にも期待をしていたところだっただけに、とても残念です。年末のMOTÖRHEADの2人の訃報に続き、デイヴィッド・ボウイまでが逝ってしまうとは想像もしていませんでした……。
デイヴィッド・ボウイは60年代から活動していたイングランド出身のアーティストで、斬新な音楽性のみならず、奇抜なファッションでも世界中のアーティストに影響を与え続けてきました。俳優としても活動していて、日本では『戦場のメリークリスマス』 の将校役が有名だよね。でも、個人的には『地球に落ちてきた男』 のほうが好みです……が、俺にとってのデイヴィッド・ボウイはやっぱりミュージシャン。今でもそうだけど、10代のころには本当に良く聴いていたし、ものすごく憧れていました。
俺がデイヴィッド・ボウイを知ったのは、『Let’s Dance』 (83年)や『Blue Jean』 (84年)といったシングルが世界中で大ヒットしていたころ。まだ小学生だった俺には当時のボウイのアダルトな路線は少し敷居が高かったけど、低音の渋い歌声や、美麗と言っても過言ではないルックスに惹かれていたし、ストーリー仕立てのPVを夢中になって観ていたよ。ただ、そのころの俺はボウイのことをポップス寄りのシンガーだと思っていたから、ロックミュージシャン達が影響を受けたアーティストとしてボウイの名前を挙げたりするのが不思議でねえ。さかのぼってグラムロック時代 のサウンドを聴いて、すぐに納得するんだけど。そして、そちらのほうが断然俺好みなサウンドなのでした。『Let’s Dance』や『Blue Jean』で聴かれるようなダンサブルでオシャレなサウンドではなく、ギターリフがメインの生々しい楽曲に、爬虫類を連想させるようなエキセントリックなヴォーカル、奇抜としか言いようがないファッションやメイク。80年代でも驚くような斬新さなのに、これを70年代にやっていたとなると、当時はいったいどれだけの衝撃だったんだろうか。
『Star Man』
この曲の歌詞のように、
ボウイは空で待っているんじゃないか、
なんて想像してしまいます……。
ボウイにはダンサブルな楽曲やグラムロックだけではなく、ブラックミュージックに傾倒してソウルフルな楽曲 を書いていた時期もあるし、成功したからといって、同じスタイルを続けることを良しとしなかった人なんだろう。グラムロック時代とソウルをやっているころではまるで別人のように聴こえるし、90年代、00年代に入ってからも常に新しいことに挑戦し続けてきた人だった。それこそがボウイの音楽を続けるモチベーションだったんじゃないか。個人的には89年に結成したTIN MACHINE があまり好みではなかったので、それ以降はあまり熱心に新作を聴かなくなってしまい(変わらずリスペクトしていましたが)、それ以前のボウイを掘り下げて聴いてみたり、ボウイ周辺のアーティストをいろいろと聴いてみるようになっていたんだけど、ボウイが楽曲を提供したMOTT THE HOOPLE は今でも俺のフェイヴァリットバンドの一つだし、考えてみればスティーヴィー・レイ・ヴォーンのギターを初めて聴いたのも『Let’s Dance』だったわけで、直接的にも間接的にも大きな影響を受けていたことに今更ながら気付く。ボウイは、俺に音楽の扉をいくつも開かせてくれたんだな……。
『Lazarus』
最新にして最後のアルバムに収録。俺は天国にいる……、
俺はあの青い鳥のように自由になる……など、
自身の死をイメージした歌詞のように感じます。
TIN MACHINEの活動休止後も、03
年まではコンスタントにアルバムを発表、ツアーも行っていたんだけど、動脈瘤による痛みのためにツアーを途中でキャンセルしたことがあって、それ以降はほとんど表舞台には立たず……正直なところ、ボウイはもう引退したのかと思っていた。それでも13年にアルバム を発表、相変わらずの意欲的な内容だったことから、今後はツアーはせずに、アルバムを発表していくだけになるのかな、なんて想像していたんだけど。
去年の12月あたりからTwitterによくボウイのニュースが流れてくるようになっていて、久し振りにボウイを思い出していたところだった。他にも、最近になってボウイの魅力に気付いた友人に、いかにボウイが凄いかを語ったりもしていたし、1月8日のボウイの誕生日には、Twitterに流れてきた彼の写真をリツイートしたりもした。そんな感じでボウイを久々に身近に感じていたところに、突然飛び込んできた訃報に今もショックを受けたままでいる。18ヶ月もガンで闘病していたなんて全然知らなかった……。ボウイ自身は自身の余命を知った上でレコーディングをしていたようだけど、それでも、アルバムは回顧的な内容ではなく、当然のようにこれまでとは違う新しさが溢れている。常にオリジナルであり続け、常に革新的であり続けた、偉大なアーティストだった。本当に残念です。