【晩夏〜秋は祭り】建国記念日はウィーンナーワルツで

aki151203_01.jpgどこに暮らしても、私の故郷はオーストリアなので毎年10月26日の「建国記念日」はとても楽しみです。
敗戦後、オーストリアは1945年から10年間、米、英、仏、露の4カ国から冷戦を受けました。そして1955年5月、オーストリア国家条約が出来て、同じ年の10月26日にとうとう永世中立国になりました。その日が「独立記念日」で世界中のオーストリア大使館でお祝いをします。当のオーストリアは祭日です。
デリーではちょうど灼熱の夏が終わりかけて、秋めいて来た頃。野外パーティシーズンのまっただ中。この時期の建国記念日は特別気持ちのいいものです。招待状には夫婦の名前とドレスコードが記されていて、民族衣装でと指示がありました。つまりオーストリアの民族衣装だけど、インドでかなり体重が増加し、せっかくの衣装が着られないので、インドの民族衣装で出ました。夫、ユッタと行きました。ユッタは30年ちかくインドに住んでいますが、ひとり参加など家から遠いし、つまらないからと私が駐在するまで行かなかったそうです。日々インド人として生きている彼女には同国の友だちはいないそうです。
最初の年はあっけない式典で大使のスピーチもなく両国の国旗が前方に飾られてお互いの国家を演奏しただけでした。あとは回って来るお酒や料理をつまみながら談笑するというものでした。
肩すかしを食ったので翌年は不参加。2年後に又ユッタと3人で行くと、今度は息子の所属していた「ウィーン少年合唱団」のディレクター、ウィルト氏が室内楽の楽員を引き連れて来ていました。そして全てシュトラウスのワルツが披露されてゲストは大喜び。その年は50代の若い大使に変わっていて、大使夫妻も流暢にワルツを踊っていました。
はじめの年は、国家を聴いたら胸にぐっときて涙が自然にあふれてきて困りました。たった2年離れていたウィーンが妙に懐かしく、ユッタが肩をかしてくれてそこで泣きじゃくってしまったのです。最後に大使夫妻に招待されたお礼など言うと前の列で大泣きしていたので感激したと言われてしまいました。2年後はワルツが楽しくて国家演奏もさすがに泣きませんでした。
ウィルト氏は私がウィーンではなくデリーにいたので心底驚いていました。そしてインド好きとわかると喜んでくれました。久々の本場のワルツに酔いしれて、気持ちのいい大使館の庭でお祝いが出来た事はいい経験です。ユッタも今日は一生の思い出になったと大喜び。
今年はどういう趣向でお祝いをするのでしょう?今から楽しみです。

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