カーテン越しに差し込む西日で目が覚めた。 体の向きを変えようとして寝返りをうつと、突然猛烈な痛みがこめかみ辺りに走った。 おまけに胸がムカムカして気分も悪い。
またしても二日酔いである。
思い起こせば朝方まで仕事関係の人々とバカ飲みをして、半死半生の状態で帰宅したのだった。
このままではいけないと思い、ズルズルと床を這いながら台所に行って水を飲んだ。
「銭湯に行こう……」
朦朧とした意識の中でそう思い立ち、そのままズルズルと風呂場に行って銭湯道具を用意した。
小刻みに震える体を引きずりながら、自宅から歩いて5分のところにある"堤柳泉"へと向かった。
堤柳泉は旧吉原遊郭に近い3階建てのビル型銭湯だ。
色町にある銭湯なので、周辺にある"特殊浴場"と区別するためか、看板には"普通公衆浴場"と記されてある。
早速履物を下足箱に入れ、浴場のあるビル2Fへと向かった。
フロントにある自販機でチケットを買って男湯の暖簾をくぐる。
時間帯が中途半端なせいか、客足はまばらだ。いや、むしろその方がいい。イモ洗い状態の浴場は、二日酔いの身にはキツイのだ。
サウナが有料になっていて少々しらけたが、浴槽が豊富なうえ、カランも広くて使いやすい。
水風呂、バイブラ、寝湯に薬湯、おまけに露天風岩風呂まである。
体を洗って岩風呂に向かうと、ウミガメのような老人が一人、湯の中で瞑想中だった。
「入りますウミガメ殿」と呟き、足先からゆるりと湯に浸かる。
体に染み入る宝寿湯は、程よく温めで気持ちがいい。
ガラス戸で仕切られた岩風呂にだけラジオが流れているのだが、聞こえてくるのは場違いで大仰なオペラだった。
しかしウミガメと二人、こうして岩風呂の中で聞くオペラというのもなかなか悪くはない。
しばしの間目を瞑り、絢爛豪華なオペラの舞台に思いを馳せてみた。
バイブラ、寝湯、薬湯とはしご風呂をしているうちに、次第にアルコールが抜けてきた。
休憩も兼ねて、窓際のカランで頭から冷たいシャワーを浴びる。
そうこうしているうちに、今度は猛烈に腹が減ってきた。
確か銭湯の近くに、鄙びたラーメン屋があったはずだ。そんなことを考えながら最後にもう一度岩風呂に浸かり、そそくさとシャワーを浴びて堤柳泉を後にした。
思った通り、銭湯の近くには鄙びたラーメン屋があった。
色あせた赤い暖簾に、中華麺の文字が染め抜かれている。
ポケットを探ると、湯銭のお釣りの550円が出てきた。これでラーメンが食べられるのだ。
赤い暖簾を分けてガラス戸を開ける。
すると驚いたことに、店のカウンターに先ほどのウミガメが座っていた。
ウミガメは餃子を肴に瓶ビールを飲んでいる。
私は奇しくも再びウミガメと肩を並べて座ることになった。
何だかウミガメと二人、うらぶれた竜宮城にでもやって来たような気分になった。
浦島太郎の童話にあるように、もしラーメン屋を出て七百年の時間が経っていたら……。
そんなありもしないことを想像しながら、温めのラーメンをズルズルとすすったのだった。
『堤柳泉』 東京都台東区千束4-5-4