ヨーロッパでは、ひとりで迎えるクリスマスこそ辛いことはない。日本で言う大晦日とお正月といったものだろう。家族だけで過ごし、夜中には教会でクリスマスのためのミサを聞き、翌日はプレゼントを交換しあう。
一人住まいのクララをクリスマスのころに訪ねたいと思い、実現したのが数年前。1929年生まれでカメラマンだったクララは生粋のケルンっ子だ。
ピアニストとして活躍をしていたころ、専属マネージャーとして私の片腕になってくれた。そのころにはレコードを出す話もあり、クララはピアノのあるスタジオを借りてジャケット用の撮影もしてくれた。
ひとりで写真館を経営してデパートの商品などの写真を撮影して広告業界でも有名になった人だ。
シンプルなケルン中央駅そのとき、飛行機で一気に行くのも味気ないのでフランクフルトからケルンへ汽車の旅を体験してみた。いつもは飛行場でピックアップしてくれたクララだが、自宅から近い中央駅に到着することを知らせると、ほっとしたようだ。もう80歳近くになってから車を売り、公共の乗り物だけを利用していたからだ。
70歳でプジョーのメタリックスポーツカーを乗り回していたクララは地元の新聞に出るほどだった。元気一杯のシニアだったのだ。
すっかり日照時間の短くなった冬のケルンは18時には真っ暗だ。元気なクララがにこやかに迎えてくれた。80歳を過ぎてもジーンズが似合う。こんなに歓待してくれるなら毎年のように無理してでも訪ねたらよかったが、私の仕事の調整上なかなかそれは難しいことだった。
すっかり駅もXmasムードいっぱいにいつもはそっけない中央駅はクリスマスのライトアップで大変身。私の重いスーツケースをひょいと持ち上げると、さっそく駅前のクリスマスマーケットに連れて行ってくれた。寒い時には温かいプンシュというクリスマスに飲む甘いアルコールが嬉しい。クリスマスマーケットの常連客であるクララは露天を出している人に今回は私が飛行機ではなく、汽車で来た事、クリスマスを一緒に過ごすことを説明してはとても幸せそうに笑っていた。
楽しい日々は終わり、また駅に送ってもらい私たちは別れた。しかし、これが永遠の別れになるとは知る由もなかった。
昨年84歳のクララが友人たちに看取られて病院で他界した事がまわりまわって伝わって来たのだった。そういえば、インドに出してくれた手紙の字が震えているようだったと今思い出される。
ドイツの超特急Intercity-Express(ICE)の主要駅でもある本人も、これが最後の別れかというように、駅では何回も強く手を握りしめてくれたっけ。私も手がちぎれそうになるほど汽車の中から振ってしばしの別れをしたのだが、もっと頻繁に電話をするなりすればよかったといまさらのように後悔している。
クリスマスの時期にはケルンの駅構内や快適だった汽車の旅も思い出される。
クララは永遠に私の心の友なのだから。