初恋はフルートの調べとともに

当時16歳だった私は、両親が音楽大学の受験指導をしていたため、日曜は受験生にスリッパを率先して出していた。その中にヒデがいた。

彼は愛媛出身でフルート科を目指して、両親の教鞭を取る音大に入るため父から音楽理論、母からはピアノを習っていた。たまにお昼にかかることもあり、私が出すお弁当に感激してくれた。父の指導する合唱団に音大に合格したヒデも私も一緒に入団した。

私たちがお互いを意識するのもそう長くはかからなかった。
演奏家の両親はコンサート活動に多忙で、春休み中、事務所の手伝いをしてもらうため彼を雇ってくれたのだ。時期はポカポカ陽気の心浮き立つ春。新人秘書が来れば当然家族と同じく昼は食卓を囲む。若いふたりが意識し始めるのは避けがたい運命だった。

ある日のこと、合唱練習のあとに私たちはなぜか帰り支度に手間取って、最後に練習所を出ることになってしまった。電気を消しドアを閉めようとすると、ヒデが手を握ってきた。思わず身を引こうとした私の唇に彼の唇が重なった。「ああ、これってファーストキス?!」と感激した私は心臓の鼓動が東京中に聞こえるほど高鳴っていた。
そして数分後には自然に手をつなぎ普段通いなれた、練習のあとは必ず団員みんなで寄る中華へ入って行った。勿論両親も一緒だが。

その後は合唱団仲間と溶け合い、今さっきの劇的なキスはまるでなかったかのようにいつもの食事会と化していた。私は、この日を境にぞっこんヒデに参ってしまった。

そのうちに秘書として毎日のように来ていたヒデは少しでも休憩時間があると、私とお喋りしたり、夕食も一緒に取れるようにわざとゆっくり仕事をしたりしていた。夕食時では向かい側に座っていた彼のすねを軽く蹴ってお互いもっと意識するようになっていた。

やがて夏も過ぎ秋がきた。文化祭の季節だ。私たちはその頃には数回デートをして、映画や食事に行くようになっていた。郊外に下宿しているヒデは練習時間も確保しないといけないのでいつも時計を気にしながらのデートだ。

待望の音高の文化祭にはピカピカの誰もが憧れる音大のバッジをつけて、颯爽と現れたヒデはクラスメートの羨望の的になった。私は自分がお化け屋敷の責任者だったにも拘らず途中ですっぽかし、あとは仲間に頼んで打ち合わせどおりにヒデの下宿へ向かった。私たちが心惹かれるにつれて両親の態度が急に冷淡になり厳しくなってきた。

その頃は大学が始まり本職の勉強で忙しく、休み中の時のように秘書としては来られなくなってしまった。週1度の合唱練習が唯一の接近チャンスディだ。中華へ向かう前に練習室の明かりを消して抱擁しキスをする。手をつないで中華へ行くというパターンだ。

若いふたりはそんなことだけで満足するはずはなく、冒険だったがごった返している文化祭を抜け出して仲間の承諾を得て、やっと下宿へ来たのだ。
郊外の下宿はこざっぱりしており、譜面台が四畳半の真ん中においてあった。ここで毎日プロを目指して何時間も練習しているのだと思うと、愛情で苦しくなった私は将来有名なフルーティストになって!と強く抱擁したものだった。そしてその日私たちは結ばれた…。

翌日高校の担任からコッピドクしかられた私は、退学したくなるほど悲しい経験をした。この事件は親に当然報告されてしまい、私が学校行事を無視して勝手に消えたことを担任と両親の両サイドから詰問された。

ある日『親展』と赤く書かれたヒデからの手紙が私宛に届いた。ちょうど帰宅していた私は開封してデート先の変更を知った。あの頃は携帯メールなど便利な物はなく、急ぎの場合は書き留めのやり取りだった。学内コンサートの都合で会う時間を変更してと書かれていた。
父が受けとり、私宛の親展と書かれた郵便物であるにも関わらず、差出人を見て驚愕のあまり開封した。この内容で私たちがまだ、頻繁に会っていることがバレ、もうヒデと会ってはいけないと頭ごなしに怒られた。怖くなった私はピアノのレッスン室で何時間も泣き続けていた。

さらに両親はヒデの愛媛の実家に電話をして、娘と金輪際つき合うことを許さないと強く言った。とうとうヒデは合唱団すら退団させられてしまった。

いざ、ヒデと同じ音大を受験かという矢先、両親がウィーンの音大留学を薦めた。18歳の時だ。2年続いた初恋の相手は、両親の圧力に耐えかねて別れ話をもってきたところだった。ズタズタになった心はまたピアノで埋めて、ますます孤独な世界に入ってしまった。
ヒデから最後の手紙をもらって意気消沈しながらも親の言いなりのままウィーンへ渡ったのだ。別れの手紙は実に素っ気ない内容で肩透かしをくったようだった。

両親さえ理解してくれたら、同じ大学で専属伴奏者になれたのだろうか?いや、そう思わない。また同じ校内のこと。きっと反対にあっただろう。
あれから30年以上。ラジオでフルート曲でも聴こうものならあの初恋が苦しさと共に思い出される。