なんだかルート名からして、ものものしい。
もう出かける前から心配でたまらない。
なぜって、まずはテント泊だから荷物が重い。それを背負って上高地から奥叉白池まで予定時間6時間の歩きが心配。バテるんじゃないか、ヘタるんじゃないか、アゴ出すんじゃないか…
自慢じゃないが馬力欠如、体力弱体を誇る?(誇ってないよ、マジ)私にとっては、登攀より取り付きが第一関門、ある種、核心。
9月27日、さわんど民宿「しるふれい」前泊
9月28日、上高地発07:40
徳澤園まではまずまずだが、新村橋を渡り、奥又白谷をさかのぼり、中畠新道に分け入ると、いよいよ不規則で急傾斜の山道が続く。マジでシンドイ。時折、足が止まりそうになる。肩、背中が痛い。息が苦しい。
頭からっぽで歩を進めると、両脇の灌木をかき分けた急登の先に急にぽっかりと空が見えた。空にたどり着いたら、足元に池が広がっていた。
奥叉白池着12:15分
着いてみれば、所要4時間25分。あらら意外や思ったより順調に歩いたみたいだった。
水鏡に明らかに季節の移り変わりを映して、奥又白池はあくまでも静か。針でついたほどもさざ波立てず翡翠色の水を湛えている。
「クライマーたち、もう抜けたのかな?」
池に着く少し前、4峰正面壁に取りついているクライマーが視認できた。コールも何度か耳にした。
「それにしても、この時間でまだあんなところにいるなんて」
と篠原さん。そのうち姿も見えなくなったし、声も聞こえなくなった。当然抜けたんだろうと、なんとなく思った。
池のほとりにテントを設営して、水汲みに出かけたら、他にすることもないから飲み始めた。どのくらい経ったか…
池の向こう側に数人登山者が現れた。
ん?見覚えのある姿だぞ!
「こんにちは〜ご無沙汰しております」
「あやまー、よう頑張るね〜」「毎週じゃないの〜」
なんと、男性3人、女性1人のパーティーのリーダー格らしき男性はTさんだった。なんだかとても嬉しかった。
翌日の早朝発を見据えて早々にシュラフに潜り込んだ。とろとろっとしたところだった。
「寝てるところ済まんが…」
テントの外から呼びかける声。どうやらTさんが篠原さんを呼んでいるらしい。びっくりして3人ともテントの外へ出てみると、我々が翌朝登ろうとしている前穂北尾根4峰正面壁のルート上とみられる辺りにヘッドランプが灯っているのが見える。
「さて、どう考えたらいいものか?!」
「こんな時間に、まだあんなところにいて…」と昼間、篠原さんが心配していたパーティーに違いなかった。それにしても、もう9時近いのじゃないだろうか。どうしたんだろう。メーンバーの一人が怪我したとかで動けないのではないか?それともルート読み違えたために、予定をはるかに超えて時間がかかり、日が暮れてしまって敢え無くビバークか。後者だとしても、ツェルトなど必要装備は携えているのか?
「ヘッドランプの光が鮮明なところをみると、ツェルトはかぶっていませんね」
Tさんと篠原さん、そしてパーティーのメンバーらで、ああじゃないか、こうじゃないかと憶測しても、話がグルグル回るばかりで、どうにも埒が明かない。
つまり、ことはどうであれ、夜の闇の中では何も誰もなす術はない。もし予定通りのビバークだったとしたら、よしんば何かあったとして、覚悟のビバークなら、翌朝彼等?はクライミングを再開するだろう。県警にSOSなどしたら、それこそ「余計なお世話」どころじゃない。で落ち着いた結論はというと、我々は予定通り4時起きの5時出発で4峰へ向かう。取り付き点からクライミングを開始し、当該地点に達した際、そのパーティーが、何らかの理由で、同地点にとどまっていたら、状況を観察し的確な判断のもと必要行動をとる。
必要な行動とは、怪我などのできる限りの応急処置。通信可能なら県警などへの連絡と救急出動要請。通信が普通であれば、奥又白へテントは残置して、峰の反対側の涸沢へ降りて小屋から通報。その場合は翌朝早がけで北尾根を登り返して、5,6のコルから奥又白池へ戻り、テント撤収の上、下山。
そう話を取り決めて、翌朝に備えるべく就寝。
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