いま――まさにいま。ひとつの名店が、その幕を下ろそうとしている。
渋谷“飲んべえ横丁”の「鳥重」。戦後の屋台で創業し、彼の地に店舗を構えてから60余年。多くのお客に愛された焼鳥屋がこの年末で店仕舞いとなる。
そんな「鳥重」の三代目である名物女将が書き下ろしたのが本書。本当に悪いわけではない、女将さんとのコミュニケーションでのおふざけ発言や、底なしに飲もうとするお客に対する口癖、『ぶつよ!』がそのままタイトルになっている。
「鳥重」、そして女将さんである著者・東山とし子さん、双方の“自伝”的に文章は始まる。
そこに綴られている、戦前となる著者が生まれた当時の渋谷の街並み、戦後、父である創業者が復員とともに始めた屋台での焼鳥屋がある風景、そして店を構えた当初の“飲んべえ横丁”の様子など、渋谷の街の様子がとても興味深い。“若者の街”と呼ばれる渋谷のかつての姿に照らし合わせて、著者が語る現在の渋谷への嘆かわしい様子は、否が応でも昔の渋谷の様子に想いを馳せてしまう。
また、「鳥重」の歴史を辿る最中に登場する経営哲学やその接客術。店仕舞いを前に、1回につきわずか定員10名、その3回転で日に30人しか入れないとはいえ、まったく予約が取れずに時間切れとなってしまったお客がゴマンといる、いちユーザーからしたらこんな夢のようなお店にどうやったらなっていったのか。筆者が当たり前のように語るその切り盛り方法には、経営者としてもまたお客の側としても頷かずにいられないポイントがたくさん詰まっている。
そして、有名店となっても気取らない著者の人柄を慕ってやってくる常連客とのエピソード。誰もが知っている著名人が続々と登場しての交友録は、その人物の横顔を知ることができて単純に楽しい。
本書は渋谷を知る一流の歴史書、そして経営を知る一流のビジネス書。さらにエピソードトーク満載のバラエティ書として読むことができる。
残念ながら焼鳥を口にするにはちょっと遅かった。しかしこの『ぶつよ!』、間違いなく「鳥重」で東山さんと顔を合わせた体験をすることができる一冊だ。もちろん、“口の中”に体験ができなかったことは、読めば読むほど悔い募っていくのだが。
作者名:東山 とし子
ジャンル:エッセイ
出版:講談社