日本柔道があくまで「金メダル」を狙う理由 ―― 92年バルセロナオリンピック


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「目標はメダル獲得です」――と、オリンピックに出場する日本人選手が口にするのを耳にする。一方、はっきり「目標は金メダル」と堂々宣言する競技も少なからずある。そのひとつが"日本のお家芸"、「柔道」だ。


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サグラダ・ファミリアでもおなじみのバルセロナ

もちろん、銀メダルや銅メダルでも素晴らしい結果には違いない。だが、柔道の場合、金メダルを取れなかった、イコール「世界に負けた」となる。日本が発祥であり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで正式種目となって以来、柔道では他のどの競技よりも金メダルへの執念が強い。その理由は、なぜか。

それを解き明かす典型的なオリンピック、そして選手が、1992年にスペインで開催されたバルセロナオリンピックにて柔道71kg級で金メダルを獲得した古賀稔彦選手。古賀選手の金メダルまでの道のりが決して順調なものでなかった当時を知る人はいまだ多いはずだ。

古賀選手は、試合直前の練習で左ひざに大けがを負い、歩くのもままならない状態になった。当然ながら試合に出場することすら危ぶまれる事態となったが、古賀選手は四年に一度のしかないオリンピックへの出場を決断する。痛み止めの注射を打ちながら、まさに満身創痍の状態で試合に挑む。
「一人でまともに歩くことすらできない人間が、激しく動く柔道を、しかも世界トップレベルのオリンピックで勝負することなどできるのか……」
当時まだ中学3年生だった自分はテレビの前でそう思いながら観戦していたし、日本じゅうがまさにその心境だっただろう。

だが、そんな心配とは裏腹に、次々と試合を勝ち上がっていく古賀選手。気力、集中力、精神力……"勝負"とは、ただ身体のコンディションが万全なだけではない、ピンチだからこその底力が自らのエネルギーとなるのを垣間見た気がした。もちろん、いくつもの挫折を乗り越えてきたからこその「金メダルへの執念」が誰よりも強かったことも大きな要因だろう。

そして、あのオリンピックが"自分の人生を変える"キッカケになった。


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負傷しながらも次々と相手を倒す、
“平成の三四郎”こと古賀稔彦選手(テレビ画面より)

中学を卒業して高校に進学し、柔道部に入部した。当然、柔道はまったく未経験だったので、受け身の習得からスタート。その受け身すらなかなかマスターできず、毎日、身体じゅうにアザを作りながら挫折しかかったとき、たまたま古賀選手が近所の高校にやってきた。当時、オリンピックでの無理がたたってケガの療養中だったが、柔道着姿であの世界中を感動させた背負い投げを披露してくれ、「ぜったい金メダルを取りたかった」と聞いて鳥肌が立ったのを未だに覚えている。その後、自分は8年も柔道を続け、全国大会の直前で大けがしたものの無理に出場し、試合終了20秒前に結果を出したこともあった。私も古賀選手のように、勝利への執念を持ち、そしてそれが実を結んだ瞬間だったと思っている。

今夏のロンドンオリンピックでも、日本選手はきっと古賀選手のような執念を持って闘ってくれるに違いない。それを瞬間的にでも感じることができた自分にとっても、柔道がもっとも楽しみな競技なのは言うまでもない。