不屈の精神――ヘルシンキオリンピック

20120611_bannar2.jpgフィンランドで初めて夏季オリンピックが開催されたのは、1952年だった。

第二次世界大戦後初の開催となったロンドンオリンピックは、戦争の影響を色濃く残していた。それに対し、ヘルシンキオリンピックは、世界が少しずつ戦争による荒廃から物質的にも精神的にも立ち直っていく過程を反映したオリンピックとなった。ロンドンオリンピックでは招待されなかった日本とドイツが戦後初参加。イスラエルや香港、タイなど全参加国69か国のうち13カ国はオリンピック初参加だった。ソビエト連邦も1912年以降ロシアが参加を中止して以来、初の参加となった。

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かつて選手村として使われた建物。
現在は住宅として使われている
「世界の平和大会」と評された反面、戦後の東西冷戦様相を象徴し、米ソの対立が際立った大会でもあった。ソ連は当初、西側と同じオリンピック選手村に滞在することを拒否。レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に選手村を設置し、ヘルシンキに毎日飛行機で通う案まで提示していたほどだった。結局、東側の選手村は、西側とは別のところに設置、ということで落ち着いたのだが。

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フィンランドの英雄、パーヴォ・ヌルミ
開催国フィンランドにとっても、このオリンピックは重要な意味を持っていた。第二次大戦で敗戦国となったフィンランドが、自らの力で国際的大イベントを主催する力があると世界に提示するよい機会でもあったのだ。また戦後復興のため、オリンピック用の建築物は、大会後住民が利用できるように造られた。

キャプラ地区のオリンピック選手村は、ヘルシンキ市民のアパートとして使用できるように設計された。フィンランドらしく、13の小サウナにプール付大サウナも設置。このサウナ、各国の絶賛を受けたらしい。各国レスラーやボクサーが減量のためにせっせと通い詰め、南アフリカチームのリーダーたちは、すっかりこのサウナが気に入って、重要な会議はサウナで行なったほどだった。

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いまもキャプラ地区に残る当時の案内板
キャプラオリンピック村のアパートに今でも残されているオリンピック用ポスターは、フィンランドの英雄、パーヴォ・ヌルミだ。ヌルミは、中長距離走者として9個の金メダル獲得と世界記録更新で1920年代に大活躍。聖火ランナーとして走ったヌルミの姿は、フィンランド人から喝采を受けた。ヌルミのねばり強くあきらめずに走り続ける姿が、当時敗戦後少しずつ復興を目指していたフィンランドの人々に強く支持されたのだった。

フィンランド人の気質を表す言葉として、不屈の精神という意味の「シス」がよく使われる。フィンランド人は今でも自然の中で楽しむジョギングやノルディックウォーキングが大好きだ。自分のペースでゆったりと時間をかけて取り組むスポーツは、フィンランド人に良く似合っているのだ。