大リーグ初の○○選手――ジャッキー・ロビンソン・デー

日本プロ野球の開幕と同様に、米国の大リーグも本土で先ごろ開幕した。
北海道日本ハムだけでなく、日本の大エースに成長したダルビッシュ有投手など、今年も多くの選手が新たに大リーグへ参戦。あのイチロー選手や今年から移籍した川崎宗則選手が在籍するシアトル・マリナーズとテキサス・レンジャーズ入りしたダルビッシュが先発登板した9日(日本時間)の試合は、平日の午前中にもかかわらず大きな注目を集めた。試合自体はイチローがダルビッシュから3安打するなど、初回に4失点、5回までに6失点などダルビッシュの乱調が目立ったが、最終的に味方が逆転して勝ち投手に。“持っている”ことを証明しただけに、1年通しての活躍を期待したいものだ。

さて、今回はそんな大リーグが4月15日に制定した記念日につきまして。
4月15日は大リーグにおける「ジャッキー・ロビンソン・デー」。ナショナルリーグのMVPや新人王、首位打者に盗塁王のタイトルを獲得した経験がある名選手、ジャッキー・ロビンソン選手を記念した日だ。
それではなぜこの選手が、そしてこの日に記念されているのか。
それはジャッキー・ロビンソンが近代の大リーグが確立して以降、初めての黒人選手であり、最初に大リーグ出場を果たした日が4月15日だったからである。

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近代の大リーグにおける初の黒人選手、
ジャッキー・ロビンソン(wikipediaより)
1890年前後とされている大リーグの“有色人種排除方針”以後、黒人選手の大半は通称「ニグロ・リーグ」にてプレーしていたが、そこでのロビンソンの活躍を知ったブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)のブランチ・リッキー会長から誘いの声がかかり、ドジャース傘下の3Aモントリオール・ロイヤルズに入団する。翌46年はマイナーリーグでプレーし、球団新記録となる打率.349で首位打者、打点113もリーグトップなど、チームを優勝に導く大活躍を見せる。
そして47年、ドジャースを除く大リーグ所属15球団すべてがロビンソンの大リーグでのプレーを反対する中、当時のコミッショナーはドジャースを支持、ナショナルリーグ会長も「ドジャースと対戦拒否の場合は出場停止などの処分を科す」と声明を出し、またドジャースのレオ・ドーチャー監督も「自分は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと構わない。自分はこのチームの監督である。優秀な選手であれば使う。もし自分に反対する者がいたら、チームを出て行ってほしい」とのコメントを出して事態を打開、4月10日に大リーグに昇格したロビンソンは晴れて4月15日に初打席を迎える。それは1884年に大リーグの前身でプレーしたとされるモーゼス・フリート・ウォーカー選手以来となる、黒人選手が大リーグの試合に出場した瞬間となった。

その後、47年には新人王と盗塁王、49年には首位打者、盗塁王、リーグMVPなど輝かしい成績を残したロビンソン。現在、大リーグでは人種はおろか国籍も越えて多くの選手が活躍をしている。ありふれた表現ではあるが、それはこのジャッキー・ロビンソンの存在があったからこそ、なのである。

ちなみにこの黒人リーグや黒人選手の大リーグ昇格などを巡る模様は、ノンフィクションからのフィクションではあるが、堂場瞬一著『八月からの手紙』に詳しい。そういえば筆者はレビューを書いていたので、ご参考までに。