2月7日のこと。朝イチでパソコンを立ち上げ、いつも覗いて回るサイトをチラ見していると、「R.I.P.Gary……」の文字がそこここに。そのメッセージを書いているのは、ミュージシャンや、ロックファンたち。……は? 一瞬、自分の目を疑ったけど、「ゲイリーったって、いろんなゲイリーがいる……」と、早鐘のように打つ自分の鼓動を感じながら、ゲイリー・ムーアの公式サイトへ。でも、そこには信じられないメッセージが載っていた。
「2月6日、ゲイリー・ムーアが休暇先のスペインで急逝。死因は現在のところ不明……」。
ゲイリー・ムーアが亡くなった。
その日はきっちりとやらなければならない予定が詰まっていたんだけども、正直全部キャンセルしたいぐらいだった。身内や友人じゃない人が亡くなって、こんなに動揺したのは初めてかもしれない。涙が出てきたりはしなかったけど、何をやっていても気もそぞろ……。そんなわけで、しばらく呆然としていたんだけど、やっぱり詳しいことが知りたくなって、いろんなニュースを見てみると、彼の元バンドメイトたちの追悼のコメントが次々とアップされていた。
その中で少しだけホッとしたのは、「彼はロックの犠牲者じゃなかった」……つまり、ドラッグやアルコールが死因じゃないってこと(今この原稿を書いている時点では死因もはっきりしていて、睡眠中に心臓麻痺で亡くなったと公式サイトに載っています)。ゲイリーのマネージャーは、「彼は物凄く元気だった。今でも信じられない」とのコメントを残しているんだけど、実際、闘病中なんて噂はまったくなかったし、ほんとに突然のことだったらしい。
人間、何が起こるのかなんて誰にもわからない。最近、まだまだこれから、というアーティストたちがたくさん亡くなっている。でも、でも、でも、だ。俺は去年ゲイリーのライヴを観たばっかりで、そのときはとても元気そうだったし、ライヴは嘘みたいに凄くて、ゲイリーは「また近いうちに会おう!」なんて言ってたんだ。「今度はハードロックのアルバムを作って、また日本に来るよ」って言ってたんだ……。もっと、何度でもライヴを観たかった。
新しいハードロックアルバムも聴きたかった。ライヴを観て、自分がどれだけゲイリーに影響を受けていたのかを再確認した。それからゲイリー熱が再燃して、昔のアルバムを聴きまくってた。でも、もうそれを生で聴くことは出来ないんだ……。
星の数ほどのミュージシャンがゲイリーに影響を受けているだろうけど、俺もその一人。学生時代、ゲイリーのギターを初めて聴いたときのことを今でも覚えてる。ギターが泣いてるみたいだ、歌ってるみたいだ、と思った。時には俺のギターを聴いて、そう言ってくれる人もいるけど、自分では正直言って、これじゃあゲイリーの劣化コピーだな、と思うことも多い。
テクニックも表現力もゲイリーには遠く及ばないし、自慢できたものじゃない。でも、心をこめて、情熱的にギターを弾くという、俺にとって一番大事なことはゲイリーから教わった。そこはもう、これからもずーっと自信を持って言っちゃおう。うん、それは自慢出来る! 俺はゲイリーに凄く影響を受けて、だからこそ、心をこめてギターを弾くんだ……。
いつかここで紹介しようと思っていたんだけど、ゲイリーには盟友とでもいうべき人物、フィル・ライノット(故人)というアーティストがいます。彼は、ロックの犠牲になってしまった人物だけど、ゲイリーと同じアイルランドの出身で、ゲイリーとは仲違いをしたりしながらも、「THIN LIZZY」などで共演し、すばらしい楽曲をいくつも共作しています。フィルが亡くなったときに、ゲイリーはフィルに捧げるかのように、『WILD FRONTIER』というケルティック(アイリッシュ)・フレーバーがたくさんつまった名作を作っているんだけども、去年、ゲイリーはまたケルティックなハードロックを作るって言ってたんだよね。
ちょっとセンチメンタル過ぎるかな、とも思うけど、今思うと、自身の最期を無意識のうちに予期していたのか……なんてことも想像してしまう。ハードロック、ジャズロック、ブルーズ、デジタルロック、と様々な音楽に貪欲ともいえる姿勢で取り組んできたゲイリー。近年のふっきれたような自然体のブルーズ、そしてケルティック・ハードロックの再始動宣言……。
長い音楽の旅路の果てに、自身のルーツに帰ろうとしていたように思えて仕方がない。盟友フィル・ライノットがそうだったように。
とんでもなく陳腐な言葉で締めちゃうけど、ゲイリー、今までほんとにたくさんの素晴らしい音楽をありがとう。天国でフィルと思う存分ジャムってください。俺はあなたの素晴らしい音楽をみんなに伝え、あなたに受けた影響をもっともっと大切に、心をこめてギターを弾き、歌を歌います。
REST IN PEACE――
安らかに眠ってください。ほんとにありがとう……。