送り火

蒼い時』の読書録にて、「1980年に私の少年時代の音楽の骨格が失われてしまった」と書きましたが、そのさらに1年前、「セックス・ピストルズ」のベーシスト、シド・ヴィシャスが薬物の過剰摂取で21歳という若さで亡くなっています。セックス・ピストルズといえば、まさに“キング・オブ・パンク”。パンクのカリスマの破滅的な生き方を崇拝するファンは、イギリスはもちろん日本でも数多く存在する。
ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、キース・ムーン……当時薬物絡みで亡くなったロッカーたちは伝説となっていった。80年代前後はそんな時代だったわけだ。

この「送り火」は9編かの短編で構成されており、その1編について今回紹介しよう。「シド・ヴィシャスから遠く離れて」である。

当時“ケニー佐藤”と名乗っていた佐藤敬一は、カリスマ・パンク評論家だった。今では評論家をやめ、妻子もある普通の社会人。娘の保育園のお迎えで、当時かかわりのあったパンクバンドの乱丸と偶然再会する。彼も今は子どもを持つ普通の社会人。二人は久々の再会から飲みに行く事になり、そこで乱丸は今でも佐藤を崇拝する当時の仲間、堀田を紹介する。堀田は今でも佐藤の言葉を信じ、パンクな生き方を続けている。大人の社会では生きにくい。変わってしまった佐藤を見て堀田は激怒する——

さて、
筆者の作品である『卒業ホームラン(短編集『卒業』に集録)』を読んだ時も思ったが、重松清という人はなぜパンクの世界のことがこんなにも理解できるのだろうかと……。凄く核心を突いており、的を射ているのに驚く。1980年代初頭の音楽を目指していた人間、またその周りにいた人間の描写を追っていると、「これって俺のこと?」、「あ、こんなことをアイツも言ってたな」と感じさせる場面が随所に出てくる。ある人物の言葉を真剣に信じていたり、今でもパンクな生き方で大人の世界になじめなかったりと、あのときよりずいぶんと時は流れてしまっているけれど、でもどこかに熱い気持ちは残ったまま。
もし、自分が発言した言葉を今でも信じて生きている人がいたとき、「俺は大人になったんだからお前も大人になれよ」って簡単に言えるものなのか……。

ある古本屋で70年代発売の音楽雑誌を購入して読み、そこで過激な発言をしているある人に対し、「今と言ってる事が違うじゃないですかっ!!」って叫びたくなった。やはり人間は年を重ねると、穏やかに、物わかりもよくなっていくものなのか……。
“I hope I die before I get old=年取る前に死んでしまいたい”、「The who」とともにそう叫んだ時代はもう遠い昔、なのだろうか。

※シド・ヴィシャスの生き様がわかる映画、『シド・アンド・ナンシー』にもご注目を。

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作者名:重松 清
ジャンル:短編小説
出版:文春文庫

送り火(文春文庫)