あそびすと美味良品:やなぎやファーム

トマト大好き編集長

聞いてくれる?トマトの話し
どんなトマトがきらい?
酸っぱいのは嫌だ。だいたい青いまま収穫して、流通期間と店先でやっとピンクになったようなのは酸っぱい。酸っぱくなくても身がガリガリしていたりする。酸っぱくもなく甘くもなく、抜けたような味で身がつぶつぶ粉っぽいなんて言うのは最低。
どんなトマトが好き?
これがトマト?ぐらい甘いのはたまらない。シャシャッと洗って丸かじり。口の周りがトマト汁まみれになってもお構いなしにかぶりつく。青臭いのがいい。甘い果実は他にもある。「トマトじゃなきゃダメなの」と言わせるのはあの香り。あの夏の日向のような匂い、独特の香りこそがトマトのアイデンティティを一身に負っているのだ。
デパ地下トマト
品揃えが豊富はいうまでもない。国内外のトマトが手に入る。高品質だが、その分高い。少々高かろうが、トマト好きはつい買ってしまう。「こんな色のトマト!」と言っては買う、「スペインのどこどこ地方産だって」で試してみたくなる。「おかしな形」「枝付き」で食べてみたくなる。

だが、なかなか「旨い!」と唸らせてはもらえない。高過ぎたり、珍しすぎたりするものは売れにくくもある。並ばってる間に鮮度が落ちるのだ。元は高品質であっても、鮮度が落ちてしまってはすかっり形無し。大枚はたいた分だけやるせない。

よみがえるトマト
小さな泉の、こんこんとわき出るひんやり冷たい水に浮かんだ二つのトマト。その鮮やかな赤い色を今も時折思い出す。夏の日、そこだけ別天地のように涼やかな風が通り抜けるどこやらのお寺の境内の木陰に、その泉はあった。 確か小学校の低学年ぐらいか、ひょっとすると入学前だったかもしれない。

中耳炎だったか、リンパ管炎だったかで、しばらく母と医者通いをした。医者に行くにはその寺の境内を通るのが近道だった。母は行きがけに泉にトマトを浮かべておいて、診察を終えた帰りにトマトをすくい上げ、丁寧に手拭いで水気を拭いて一つを私にくれる。

傍らの切株だか石段だかに腰かけて、母と一緒にトマトにかぶりつく。私はきっと体調万全でなかったはずだが、そんなことより、普段働いていた母とは、具合でも悪くなければ得られない時の中で、なんだか嬉しい気分だったのを思い出す。

昨夏、友人から北海道産直トマトが送られてきた。開梱した途端、なんだか知ってる香り。食べてみて、なお驚いた。旨いとか甘いとか、そういう表現を超えた、すなわち最高にトマトらしいトマト、トマトの中のトマト、tomato of tomatoesなのだ。鼻を抜ける青臭い香りが一瞬にして、泉に浮かぶ赤いトマトを私によみがえらせた。
今5月。
「あのトマトの畑、見に行かない?」 誘われて二つ返事で出かけて行った。 両側は、畑地と牧草地の起伏ラインが幾重にも重なり合いながら地平線を形成しているような街灯も信号もない道を延々走り、やがて5月の連休も開けたというのに、そここに残雪を置いた林を抜け、春の日差しに湖面を煌めかせる屈斜路湖の脇をいくらか走った先に「やなぎやファーム」はあった。メロンの苗やトマトの花や小さな実を見ながらずっと、やなぎやファームの主、柳谷順尚さんの話しに耳を傾けた。そして知った。雄大で豊かな大地はともすると人間が棲家するにはあまりにも過酷であったりもするが、耐えて胸を張ればこそ豊穣をもたらしてもくれる。

まさしく地下1mまで凍りつく大地こそが大いなる実りを贈ってくれるのだということ。あの味のわけを理解した。トマト好きな皆様にはぜひ味わって、「世界一旨い」と唸ってください。トマト好きでない方も、きっと好きになります。トマトの常識を超えたトマトです。

© System We