Vol.59 猪熊隆之山岳気象予報士の「不死身の登山人生行」


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——以前、『ガイアの夜明け』(テレビ東京系)に出ていらしたのを拝見しまして……

猪熊●ありがとうございます(ニッコリ)。でもあれ、私が主人公ではなくてウェザーニューズ社の女の子が主役でしたよ(笑)。

——はい、それはわかってましたが、猪熊さんにかぶりつきでした(笑)。その放送直後に取材依頼をしたのですが……。

猪熊入院していました(笑)。お待たせいたしました(ニッコリ)。

——それはどんなご病気、ケガだったのですか?

猪熊●はい。「慢性骨髄炎」というものなんですが……

——なにか、すごく大病な感じがしますね……

猪熊●はい。この病気は非常に治りづらい病気なんです。私の場合は足首に限りなく近い部分でして、外科的な治療は無理だったんです。なので、安静にして、心身ともにストレスのない生活を……そんなの無理なんですけど(笑)、それしか方法がありませんでした。でも、それでもときどき爆発しまして……骨が腐ってくる部分が心臓まで到達したら死んじゃいますので、そのたびに入院して治療をしてたんですね。
この5年はその繰り返しで、前職は山の旅を扱う旅行会社だったんですが、そこは辞めざるを得ませんでした。その当時は、登山ができなくなるのが自分のなかで消化できませんでね。山に関する会社なんですから、周りは当然そういう話になる。それは辛かったですよね。あと、当然なんですが自分の一生を考えたとき、入退院を繰り返さないといけないとなれば、“頭を使った仕事”をしなければ、この先食っていけないなと思いましたしね。

——……。

猪熊●なにしろこの慢性骨髄炎ですが、難病指定にもなっていませんでね。障害者の認定もされないんです。なので、自分でずっと生きていかなければなりません。そこで……天気が昔から好きだったので、気象予報士の資格を取ってみようと考えました。気象の世界なら食べていけるかな、と思ったんですね。というのも、山に関する気象予報士はいない……“山に詳しい気象予報士”はいらっしゃるのですけど、それをビジネスとしてやっている方はいなかったんですね。きっとマーケットもニーズもあるだろうから、おもしろいだろうなと思って、いまに至ります。

——なるほど、「山に詳しい」だけでなく、ビジネスとして考えられたのですね。

猪熊●ただ、病気の治療も諦めきれませんでね。ちょっと落ち込んでいるときにある先輩から「そんなんで諦めていいのか」と言われましてね。それでいろいろな病院を回りましたが、どこでも「これはダメですね……」と言われ続けました。
ただそのうちに、自分でホームページを見ていたら、骨の病気とか難しい骨折を専門に扱う診療科が帝京大学にあることがわかったんですね。
で、行ってみましたら、「あなたの場合、骨髄炎自体を治すことはできるかもしれない。しかし、腱などを全部摘出しないといけない。山はもちろん、まともに歩くこともできなくなります。再発におびえる毎日からは解放できるかもしれませんが……」ということだったんです。

——歩くこともできなくなる……。


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猪熊●その治療自体もすごく長くかかるので、転職したばかりだったこともあって「ちょっと待ってください」と答えました。ところがそのうちになんですが、主治医の先生が「もしかしたらいい治療法があるかも」と言ってくれたんですね。「ある先生なら腱とかを取らないで治療ができるかも」と。その先生は“ゴッドハンド”と言われるような先生のひとりでした。どうかその先生に見てもらえないか、そうお願いしたんですけど、世界中を飛び回っているとにかく忙しい先生で……。これ、表現が難しいのですが、“自分が興味のある症例”の人しか見ないし、病院に常勤というわけでもないんです。それでも「もう一度山に登りたい」という気持ちや、そのころ新聞などにも私の記事が出るようになっていたので、それら僕の思いを主治医の先生にぶつけていたら、なんとかお目にかかることができました。
まず検査を受けて、これがうまくいかないと治療もできなかったんですが、うまくいきましてね。それで去年(ニッコリ)……。まあ、ホントに、二度とはできないくらいキツイ手術だったんですけど、そのおかげで杖も5年ぶりに外れて、ここまで来られましたね。

——その慢性骨髄炎ですが、山でのケガが元だったのですか?

猪熊●そうですね。患部を開けてみてハッキリわかったのですが、以前のケガの砂利とかが入ってましたね。

——以前のケガの、ですか。

猪熊富士山で落っこちたときです。1993年12月の富士山でした。突風で飛ばされたんですね。

——富士山から!?

猪熊●はい。行方不明者になってしまって、落ちた現場に24時間以上いたんですよ。血が体内で凍っちゃって凍傷にもなりましたね。そのときすぐに消毒もできなかったのが骨髄炎になった原因でしょうね。

——それは山岳部などに在籍されていたときですか?

猪熊●大学の山岳部の合宿でした。冬山に行く前に毎年、富士山に行くんです。下級生は下の方で“雪上訓練”ということでロープワークの練習とかをするんですけど、3年生だった僕ともうひとりは岩場に行ったんですね。もう山頂も見えるようなところだったんですが、そこでちょっと風が強いのを避けようとしたら、落ちちゃったんですね。

——……。

猪熊●私は……もう死んだと思いましたけどね、岩の密集地帯でバウンドして止まったんですよ。奇跡的にザックを落とすことができて、岩にしがみついて止まったんです。で、もうひとりも岩場に止まっていて、彼は歩くことができたんで降りていったんですね。それでも彼も血だらけでしたから途中で倒れてしまったんですが、そこをたまたま仲間が通りかかって助かりました。で、私は動けなくてその場にいて、次の日のお昼を過ぎたあたりでダメかな……と思っていたんですが、なんとか見つけてもらって。

——うわあ……。

猪熊●その富士山の事故は、病院に運ばれたとき「切断を覚悟してください」って言われるほどでしたけど、2年くらいかけていちおう治りました。まあ、奇跡に奇跡が重なってそこまで治ったのですね。
で、そのあとまたガーッと山に登り始めたんですけど、今度は99年に肝臓を壊して入院したんですね。そのブランクがまた1年ほど……内臓だったんで高所が怖くなったんですが、それを言い訳に止めたくないなと思って。それからエベレストとかに行きました。まあ、肝臓を壊してなければそのときシシャパンマの南西壁などに行くはずだったんですけどね。肝臓ですか? これが「劇症肝炎」ということで、命も危ういということだったんですね。両親も呼び出されましたから。もう3回くらい命を救ってもらってますね。そのあとも谷川岳で転落してますしね(笑)。

——笑っておられますが……すごいですね。

熊本●あのときの谷川岳は……もうその前もその後も何回も行ってるんですけどね、いまだに落ちた理由がわからないんです。難しいルートではありましたが、そこは難しい場所ではないんですよ。当時すごいショックでしたよ(笑)。

——いろいろな経験をされておられるわけですね……。

猪熊●これは肝臓を患った後……あまり思い出したくないのですが、当時の文部省の登山研修所、いまの国立登山研修所で講師をしておりまして、そこの生徒さんが研修中に亡くなっちゃったんですね。その捜索が治って最初の登山でした。まだ肝臓の調子も悪くてブランクもありますから、完全に戻ってなくてバテバテでしたね。で、そのあとも……ウチの後輩も合宿中に立て続けに亡くなりまして……その捜索があのころは多かったですね。まあ……私はいまも含めて13年間、中央大学山岳部のコーチをやっているのですけども、そのときは亡くなった子のためにもね、自分も含めて再起していきたいな、と思いましたね。


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——それなのに骨髄炎の発症が……

猪熊●そのときは……私はトライアスロンもやるんですよ。目前に大会があったものですから、そのトレーニングで追い込んでいるときに発症しちゃったんですね。みるみるうちに足が腫れちゃって。そのときはまず、「大会に出られるのかな?」って思いながら医者に行ったら、「即入院。さもなくば足を落とします」と(笑)。

——「足を落とします」(笑)。

猪熊●会社の引き継ぎとかもあったので3日間だけ待ってくださいとお願いしたら、「いいですけど、あなたの問題ですよ」と脅されました(笑)。まあ、富士山で落ちたときから、骨髄炎になったら危ないというのは理解していたんですよね。結果的に骨髄炎と凍傷になったわけでして、凍傷は患部が真っ黒になるほど悪くて、切断しなければ治らないというレベルだったのが、これもよく治ったなと思いました。
で、骨髄炎は恐れてはいたんですが、仮になったとしても、もう1回くらい自分がやり残した最高の登山を終えて、それで足を切断するのならそれでいいや、なんて思っていたんですよ。でもそれは甘い考えで、ちょうど同じ時期に病院で私の隣に同じ症状の人が来たんですよ。本来、感染症ですから隣同士になることはないのですが、縁あって隣に来た方の話を聞いても……交通事故から10年も闘っておられるんですが、その方の話を聞いて、これは登るどころか、そのトレーニングもできないのではないか?……そう思いました。いや、山どころか日常生活すら不安になりましたよね。まあ、入院しているときはいまの症状を改善させる、退院するという目標があるからいいんですが、退院してからがショックでしたよね。「もう登れないのか……」なんて思うと、落ち込みました(笑)。
で、しばらくは山から遠ざかりたいと思って、家にある山関係のものはすべて見えないようにしました。登山道具は後輩に売り払ったりしましたよ。靴だけは捨てられなくて取っておきましたけどね。あ、いまはもう家の中は山の写真だらけですよ(笑)。

——よかった……私まで嬉しくなりますね(笑)。

猪熊●……辛い時期は続いたのですけど、大きかったのは気象予報士の資格に挑戦して、学校にも通うという目標ができたことが大きかったですね。私は目標がないとダメになってしまう人間なので。
気象予報士の資格を取ったのは07年ですね。06年から勉強を初めて、幸いにも1年で取ることができました。この流れが自分の救いになりましたね。大学受験以来、久しぶりに勉強しましたけどよ(笑)。
これ、ちょうど気象予報士の勉強中の話なんですが、病院で竹内洋岳さんに会ったんですね。そこで「ぜひ僕が行くときのヒマラヤの天気を予報してください!」と言われまして……。

——あ、それがいまのお仕事のきっかけとなるのですね。

猪熊●たしかにそういうニーズはあるだろう、そう思いましたよね。私もヒマラヤに行ったときは天気で苦労したんですよ。現地は天気予報というものがありませんからね。

——え、ないんですか?

猪熊●いや、もちろんラジオではインドやネパールの天気が流れていますけれども、そんなの山岳地ではまったくアテになりませんから。外国の登山隊の場合は欧米の気象会社から情報を入手したりしているんですが、それもあまり当たらないのが現状です。そんな情報に振り回されて、最悪のタイミングで山に入っちゃったりした苦い経験があるので……。だからこそ、それなりに精度がある予報ならば絶対にニーズがあるだろうなとは思いましたよね。登山者の役にも立ちますし、事故も防ぐことになりますしね。これは画期的だなあ……と自分でも思っていたら、本当に私の予報を使ってくれたんですよね(笑)。

——肝心の結果は……

猪熊●(ニッコリ)これが私ねえ、本当に運がいいんですよ(笑)。いちばん最初は登山研修所の先輩がエベレストへお客さんを連れて行く登山で予報を出したんですけど、たまたま……いや、ホントにたまたまですよ(笑)、当たったんですよ。

——やった!

猪熊●はい(ニッコリ)。それが高い評価をいただきました。2回目が竹内さんで、場所はカラコルム山脈、ヒマラヤとは違う場所だったんですけど、こちらも当たったんですね。まさにドンピシャのタイミングで登ってもらうことができました。出だしの2回が当たったので、これで一気にこの仕事を広めていただきましたね。実は、その後はちょっと頑張らなきゃ……とも感じているんですけれど(笑)……いや、使わないよりは使ってもらったほうが断然いいですよ! ハハハ。


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——猪熊さんの天気予報というのは、やはり山に登る……たとえば山岳部のコーチや研修所の講師として培った経験が活きているのですか?

猪熊●それはやはりそうですね。国内の山の場合だと、気象庁さんが開発した“数値予報モデル”というのが、わりと山でも当てはまります。“山である”という点を修正していけばなんとかなるんですね。
ただ、ヒマラヤとなるとまったく当てはまらないのですよね。観測データも少なすぎますし、地形もまったく違うのでモデル通りに動かないんです。そうなると自分の経験や知り得る山の特性が圧倒的に大きくなります

——たとえばヒマラヤなら、そこに行ったことがある猪熊さんに一日の長があるわけですね。

猪熊●ヒマラヤに行ってないとわかりませんよね。どこか別の山に登ったことがあるだけではなく、ヒマラヤに行ったことがないとダメでしょうね。また、山に行っていても、天気に興味がなくて漫然と登っていてもわからないでしょう。私はこの仕事をやろうと思ったとき、就職する前に自分が登ったときの天気を全部調べ直しました。私はもともと天気が好きなこともあって、全部メモをしていたんですよ。それを洗い直してどういう特徴があるのか調べました。最初は全然見えてこなかったんですけど(笑)。でも、それをやったからある程度のイメージは掴めるようになりましたね。気象庁から衛星画像を取り寄せたりしましたが、衛星画像が加わってちょっと繋がってきたのを覚えてますね。
で、予報のうえで重要なのは、現場と一緒に作り上げていくことなんですね。データが少ないですから、現場からの実況をもらってはじめて精度が上がるんです。いちばん最初のエベレストのときも最初は精度が悪かったのが、現場情報をもらってだんだん上がっていったのですね。

——現場からの情報も大きいわけですね。

猪熊●国内のCM撮影のためにピンポイントで予報をするのは30分くらいでできあがるのですが、海外だとやっぱり2時間くらいかかります。頭痛くなるくらい考えますよ。
それと先日から、全国15山域での携帯での天気予報を始めたのですね。携帯でも見られますし、メールでも受け取れます。こちらはおそらく国内初のサービスですので、ぜひお役立てください(笑)。

——役立てます(笑)。

猪熊●ただ……これは日本のビジネス論でもあるのですが、なにもかも自分たちの利益になるために、人間の能力をスポイルさせていく方向の開発を進めていくのは、私はすごく嫌いなのですね。もし私が利用者だとしたら、こんなに便利でしかも当たる予報ですから(笑)、頼ってしまいます。そうすると自分たちで空を見たり、天気図を描いたりする努力がおろそかになってしまいますよね。それってすごいまずいことなんですよ。
山というのは総合的な能力が試されるところで、自分で危険を認識する、五感を使って危険を認識することがすごく重要なんです。人間はその能力を失いつつあるのですけど、それを取り戻せるスポーツだと思うんですよ。そういった部分まではなくしたくない。なので……個人のお客さんにはあまり使ってほしくないんです。もし使うとしたら、このサービスは他社さんにはないのですが、予報とともに私たちのコメントを入れてあるんです。これは考えていただくためであって、予報がいらない人はコメントだけ読んで見ないままでもいいのです。勉強や、身につけるためのヒントにしてもらいたいんですよね。

——なるほど、自分で考えたり危険を察知することを捨てないわけですね。

猪熊
●とはいえ、旅行会社の登山などは別ですよ。お客さんを安全にお届けする義務がありますから、万一のあとに「山の天気だから仕方がないよね」なんてことは許されないんです。そういう会社からの需要にはしっかりとした予報をして、かつ、役に立てていただきたいですね。

——最後になりますが、現場で使える天気の特徴ってありますか?


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猪熊●それはやっぱりありますよ。どこの山でも、偏西風の影響で西から天気が崩れてきます。特にヨーロッパはそうですよね。なので西側に注目してください。モンブランはグーテの小屋から行きますよね? そうすると西側の視界が開けてますので、そこから積乱雲の固まりが迫ってくるときは要注意です。あと、生暖かい南風がすごく強くなったときはアタックは難しいです。

——そんなの見て歩けませんよ!

猪熊●大丈夫です。付いていくだけですから(笑)。プロフェッショナルなガイドが付いています。それに、ガイドはすごい慎重なので、こちらが「行けるんじゃない?」という天気でも止める場合があります。私も旅行会社のときにはそれで言い争ったことがありますよ(笑)。まあ、お客さんが納得するところまで登って、そこで諦めて降りようとしたらバーッと晴れて登れた、なんてこともあるんですけどね(笑)。小玉さんが登られるときに、山も心もパーッと晴れてもらいたいですね。そういう予報、出しますよ。ハハハ(ニッコリ)。


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【プロフィール】
新潟県生まれ。
山岳と海洋気象の専門社、株式会社メテオテック・ラボ所属 山岳気象担当。
国内・海外での豊富な登山経験を生かし、登山者の観点から捉えた天気予報をインターネットや衛星電話を活用して24時間体制で発信している。
特にヒマラヤの天気予報は信頼が厚く、アルピニスト、竹内洋岳氏の8,000m峰登頂やエベレストの登山隊に貢献。その予報精度と的確なアドバイスは、国内外の山岳エキスパートから高く評価されている。

株式会社メテオテック・ラボ
http://meteotech.net/

なんとなんとである。
モンブランから一転してマッターホルンになったりしてと、旅を続けたアラカン編集長が、ついにヒマラヤ山脈(!)のヤラピークに登頂成功!
あなたヒマラヤですよ、という快挙についてはアラカン編集長のページに譲るとして、そこに至るまでに山の話しを聞いた偉人たちをこれから取って出し。
今回は“山の気象予報士”猪熊隆之氏が登場!