【五輪オーラス】心臓が止まりそうな男子110mハードル予選

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オリンピックにはやっぱり魔物がいた。ロンドンオリンピック、陸上競技男子110mハードルの予選第6組。中国の劉翔が出場するレースには、中国人だけでなく、私のような陸上競技ファンも注目していたはずだ。

劉翔はアテネオリンピックでアジア人初のトラック競技における金メダリストとなっただけでなく、世界記録まで塗り替えた。中国では国民的英雄で、多くのスポンサーがついている。自国開催の北京オリンピックでは金メダルの大本命だった。ところが北京オリンピックの予選で劉翔は、一度はスタートラインで構えたが、他の選手がフライングした直後に足の故障という理由で棄権してしまった。一瞬何が起きたのかもわからず、競技場は騒然となり、泣き出す人もいた。彼にとっての北京オリンピックは、金メダルを取るミッションのようなもので、それができないコンディションなら走らない「1か0」の選択しかなかったのだろう。

衝撃的な棄権の一幕から引退の噂もあったが、北京オリンピックの後手術を受け、レースに復帰した。昨年神戸で開催されたアジア陸上で劉翔が来日していると聞き、観戦に行った。劉翔は悠々とハードルを跳んで13秒22の大会記録で優勝した。また走れるようになっただけでなく、リラックスした表情をみて私は嬉しかった。

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神戸で開催された2011年アジア陸上。先頭を走る劉翔
そうして迎えたロンドンオリンピックの男子110mハードルの予選の時刻、私はテレビの前で劉翔が出てくるのを待っていたが、最終組の第6組の直前に突然中継が打ち切られ、心臓が飛び出しそうになった。テレビから映像を見ることができず、イライラしながらツイッターで様子をうかがっていると、次々と英語や中国語で情報が入ってきて、劉翔が転倒して棄権したことを知り、天を仰いだ。彼は、転倒後しばらくの間痛そうに座りこみ、通路にいったん引き上げた後、また観客の前に現れて片足跳びでコースの脇を進み、自分のコースの最終ハードルにキスをしたということだった。その翌日、携帯電話に届いた中国のネット放送から告知が入り、ようやく観ることができたが、中継の解説者はすすり泣きながら、「あまりに意外で遺憾」と繰り返していた。

劉翔ほどの選手が第1ハードルを跳べなかったというのは、もともと足の調子が良くなかったのだろう。でも今度は逃げなかった。いったん通路に入った時、彼はなんだか忘れ物をして取りに行くような感じだった。魔物に取り憑かれても4年間待っていたオリンピックの最終のハードルに自分の想いを届けたかったのか。彼は、本当は純粋に楽しんでハードルを跳びたいのだろう。