ある日ホテルプラザが取り壊されるというニュースをテレビで見て、ホテルのすぐ隣にあった大阪タワーがないことに気づいた。ウィキペディアで調べてみると、2009年9月から解体工事が始まったということで、軽いショックを受けてしまった。その前の年に中国から戻って神戸に住んでいたのに全然知らなかった。
大阪タワー跡地、向こうのビルは取り壊し工事中のホテルプラザ大阪タワーが完成したのは高度成長期の1966年、当時私が住んでいた家の近くにあったので、家族で登ったことをおぼろげに覚えている。やがてタワーから少し離れた街に引っ越したが、1970年に大阪万博が始まると親戚が次々と見物に来て、観光のひとつとして大阪タワーへも連れて行くこともあった。当時は、大阪で見晴らしの良い観光地といえば、大阪城か通天閣、そして真新しい大阪タワーで、通天閣よりも自慢にしていたような気がする。展望台にはテレビスタジオもできて、毎朝の生放送も楽しみのひとつだった。
やがてボーイフレンドとデートする歳頃になると、神戸のポートタワーや、六甲山へ行っても、梅田から微妙な位置にある大阪タワーで眺めを見ることはなかった。長い直方体の上にバースデーケーキにのせる細いロウソクを立てたような大阪らしからぬシンプル・イズ・ベストといった形で、バブル時代にはかなり地味な存在になっていた。
在りし日の大阪タワー(左)。現代の象徴"タワー"マンションとともにポートタワーのデートが成功したのか、結婚して神戸に住みはじめた私は阪神淡路大震災の後、神戸から大阪まで通勤することになった。JR神戸線に乗っていると淀川の鉄橋から梅田のビル群と少し離れて大阪タワーが見えて、もうすぐ電車を降りることを自分にいいきかせる。しかしそのころには大阪タワーの役目はほぼ終わりつつあった。そもそも大阪は東に生駒山があり、街に電波塔を立てなくても、山のほうが高い位置に立てられるのだ。
大阪タワーのすぐ横にあるホテルプラザが昨年よりハットダウン工法という「ダルマ落とし」のような方法で取り壊し工事が行なわれているが、大阪タワーでも同様の方法で取り壊されたという。高さ150メートルのタワーは少しずつ鉄骨が取り外され徐々に低くなり、やがて静かに何もなくなってしまったのだろう。いっそダイナマイトで一気にふっ飛ばした方が派手好きな大阪的ではあるが、近隣からの理解が得られるわけがない。大阪タワーの跡地は今は駐車場となり、すぐ近くには皮肉にもタワーマンションがそびえ立っている。
自分よりも短い命を終えた大阪タワー。最期を看取ることができなかったのが残念でならない。