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撮影年月日 |
2004/07/24 |
撮影場所 |
横浜市青葉区 |
学名 |
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科目・属 |
クマツヅラ科クマツヅラ属 |
季節 |
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生育地 |
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分布 |
南アメリカ原産の帰化植物 |
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捧げ花
カンカン照りの空き地でも草はビャンビャン生い茂る。その草丈に負けじと、すっくり顔を出して咲いていた。
今夏は日本中おかしな気候で、まるで温帯ではなく亜熱帯になってしまったかのようだ。
世界の気候区分に異変が起きようとしているのだろうか。地球上から温帯と亜寒帯が姿を消すというのだろうか。
急遽でかけた島根県の田舎の草原で見つけた。どうやら園芸種が逃げ出したもののようだ。これも恐らく亜熱帯から連れてきて品種改良を加えられたものらしく、暑さには滅法強いようで、煮えくりかえるような夏の熱い風に涼しい顔で揺れていた。
7月21日の午後、急を知らせる一報を聞いて、慌てて出かける用意をしたものの、結局は22日の朝にしか出かけられなかった。遠方の悲しさ、結果的には伯母の最後には間には合わなかった。
「おばあちゃんと一緒」に登場したとおちゃんのかあちゃんの妹に当たる、アタシからは義理の伯母は、病院に運ばれて間もなく息を引き取ったのだという。
伯母の遺影は見れば、おばあちゃんがまだ元気で、伯母がもう一人のおばあちゃんんの妹とともに、次男の結婚式に遠々横浜まで出てきてくれた時に撮った、式場のロビーで姉妹三人仲良くソファーに腰掛けている写真から作ったものだった。
あれから月日は流れ、次男には娘が生まれ、その娘の「あいぽん」はもう2歳半になり、もうすぐお姉ちゃんになろうとしている。
時は確かになんびとにも平等に流れはするが、個々にとってはそれぞれの状況に応じて異なった意味をもつのだろう。
おばあちゃんは亡くなり、その後伯母はガンが再発していたのだ。
肺がん発病直後には片肺摘出手術を受けたのだが、よほど辛かったとみえて、再発後は手術はおろか抗がん剤投与なども拒み、いわば自然放置状態だったという。
最後には頸部リンパ腺にも転移があったらしく、これも怪我の功名といえばいいのか、痩せてやつれたというより、むしろふっくらとふくよかなデスマスクだった。
最後の最後まで自分で歩いて用を足し、いよいよ具合が悪くなって病院へ行く朝も部屋の掃除をしてでかけたという気丈な人も、察した医師が手術を受けた病院へ転送手配をした時にはさすがに「もう、いけんわー、死のうよ、死のうよ」と言っていた、と小さい伯母が話して聞かせた。
前の晩なんやかや用事をして、ようやく深夜2時過ぎに寝て、3時間ほどで起きて1便先の飛行機で行くとおちゃんを送り出し、長男と次男と三人でバタバタとでかけた。大阪から三男もかけつけた。
とおちゃんの会社の社員の長男と、今んとこ「自由人」のダンサーの三男はともかく、普通にサラリーマンしている次男からは父の伯母だから「忌引き」にはならず、休みをもらうのは言いづらかったろうとは思うが、生涯独身を貫いたおばあちゃんの妹たちである。それだけに我が家とはつながりが深くもあったし、身内の少ない葬儀のにぎやかしには充分なったろう。
一足先に帰る息子らの手を一人ずつとり、小さい伯母は涙をこぼしながら、「遠々、ありがとう」を繰り返した。
着いた当日は通夜、翌日の葬儀を終えたあたりから、アタシは体調を崩してしまった。
ここんところの事務所開設準備やらの気ぜわし続きのこの度のことで疲れも出ただろう。いたしかたないことながらギンギンに効いた冷房とうだるような暑さのサンドイッチで調節機能が変になった。
水分摂取も少なかったらしく、もともと馬力のない腎臓に負担がかかったらしい。全身がプキプキ浮腫んで倦怠感に悩まされた。
とおちゃんが葬儀の後片付けや何かで伯母のところに出向いている間、アタシはゴロゴロしているより術がなかった。
なんとか問題解決を図るべく、水分をたくさん摂って、発汗作用を促すことができればと家の周りをソロソロ歩いてみた。
家のすぐ脇の空き地でこの花を見つけて、急いでカメラを取りに戻り、夢中で摂った。熱い風がかなり強く、花が揺れてなかなか思うようにレンズに捉えられない。
なんとか数枚撮ったら全身汗びっしょりで、頭がくらくらした。家に戻って倒れこむように寝てしまった。
ほんの1時間ほどトロトロして目が覚めたら、プキプキが引き始めていた。
なんだか「花のページ」なんだかなんだかわからないものになった。長々と書いてしまった。
この花のページを伯母に捧げることをお許し願う。
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